教育におけるiT化失敗の変遷

ソフトウェアと呼ばれた時代の失敗

ソフトウェアといえばCOBOLやFORTRANが全盛で、ひとクラスに50名以上の専門学生が、1学年5クラスあって、全道から高卒の若者が集まってきた時代です。
そのような専門学校が、札幌市内には何校か乱立していました。
この時の失敗は、通産省が主催する「情報処理国家試験二種・一種」とかという試験に振り回されたことです。
問題は試験会場にありました。年に1度しか実施されないこの試験は、午前が用語や数学の筆記試験で、8割以上とらなければ、午後は放棄してもよく、午後はプログラミング言語とアルゴリズムに関する問題が出題されました。
問題点は2つありました。1つは試験会場です。札幌の場合、大抵は北大を借りるのですが、入試試験と違って、ひとり一人の幅が狭く、簡単に前位両隣の他の人の解答の様子が、簡単にカンニングできるのでした。誰の隣に座ることができたかで、合否が決定しました。このため、知識実力がなくても、プログラマとして採用される人が多く、企業側からは、信用のできない試験であることが早くから見破られていました。
「情報処理国家試験二種・一種」を主催する通産省は、英検に続くドル箱として喜んでいましたが、企業では、冷ややかな評価しかなく、独自で講習や実務訓練をして防衛していました。
もう一つの問題点は、主催者を含め出題者は、システムについて無知であったことです。開発言語やアルゴリズムには、ある程度技術的な知識はあったのかもしれませんが、企業が求めるシステムということについては、何の知識も持ち合わせていませんでした。
つまり、出題されるプログラミングの課題は、実社会に入り込むシステムとはかけ離れた空想の計算ばかりでした。



汎用機は1台3億円したといます。本体はフロアー1面を使い、24時間冷房が途切れないようにしていました。生徒は、汎用機に接続されている端末40台機に向かって、コマンドとプログラミング入力し、送信してコンパイルし、実行で結果を表示させていました。この方式をTSS(タイム・シェアリング・システム)といい、OSという言葉はなく、オペレータという人が、パンチしたプログラムを汎用機に入力したり、メモリ管理していました。
M-170を見てみましょう。主記憶は、わずか8MBです。補助記憶装置は、ハードディスクを使うのでが、バケツのような大きさで、1個に3MBでした。
今からみて、このようなチープなコンピュータで、何を処理したかというと、企業や公務員の給与計算です。当時の若者のほとんどは、給与計算の印字や借入返済の計算に携わっていました。

独自OSを持つことが許されなかった日本

1984年、米国でアップル社のマッキントッシュが発表され、汎用機全盛からいよいよパソコンのスプレッドシート革命(米国内での表計算ソフトの浸透によるパソコン普及の幕開け)の波が、先進国に巻き起こります。
この時代のヨーロッパは、米国のコンピュータやOSに支配されることを潔しとせず、独自の開発言語を開発するなどして抵抗しましたが、時既に遅く、わずかにフランスがPASCAL言語と3Dソフトやゲームソフトを開発し、細やかな抵抗をするのみでした。
我が日本は、この時点でもなおスプレッドシート革命に鈍感でした。理由は、色々あります。経理事務の簿記が浸透していたり、そろばんを始め、計算能力は群を抜いていたために、専用の計算機は不要であると考えていました。
教育界はこの時点になっても危機感を持っていなくて、先の英語のLL教室の嵐が立ち去ったように、コンピュータ教育も時間と共に消えるものだと願っていました。
戦後日本の教育の成功は、受験戦争にあります。受験で負けたものは落ちこぼれであり、受験に勝ち抜いたものは、将来が約束されていました。学校教育は受験体制を維持するための軍隊教育で従わないものは、はみ出しものや不良として扱われました。
受験体制は、現場の教員にとってはこの上ない天国でした。勉強が出来ないのは、当人の責任であり、教科書以外のことを教える必要がなかったからです。
ついに1998年、マイクロソフトは日本にトドメを刺そうとします。ウインドウズ98とエクセルの日本への販売です。
慌てた経済産業省は、文科省に圧力をかけて全国共通一次テストの数学にフローチャートとBASICの問題を必修にしようとしましたが、現場の強い抵抗に遭い、選択問題となってしまいました。
その後、日本以外の先進国がIT化教育を模索する中、日本だけが「ゆとり教育」という低迷を左翼教員たちによって教育現場を支配し堕落させました。

クロームノートは教育を救うか

米国では、どんな理由からBASIC言語が生まれ、教育現場に浸透することになたか、米国の高等教育で使われている「離散数学」という科目の実態は何か、など研究すべきことは山とあります。
the rest of us というアップル社の思想は、米国の教育者ばかりでなく、エンジニアに支持され今も浸透しています。
汎用機の時代から、日本はシステムを組んだ経験もない人が、iT化教育に口を出します。ここは理系群が頑張るべきでしょう、という分野に理系が一人もいなかったり、流行で開発言語を選択しようとします。その結果、ピント外れな選択を繰り返し、正解にたどり着くことがありません。
江崎玲於奈さんが、米国人としてノーベル賞を受賞された時、日本のマスコミはこぞって、どうして日本人として受賞しようとしないのか問われた時、彼は「日本には日本でしか通用しない学問がある。」とだけお答えになりました。
ICTではありません。ITです。
横文字に「,(カンマ)」を使うのは、倒置を示す記号であって日本語の「、」の代わりはしません。2025年から教科書の全てはデジタルにする、という意気込みはきっと正しいのでしょうが、the rest of us のような明確で単純なスローガンが見つからないうちは、汎用機同様、全国共通一次テストの数学同様、何度目かの失敗は目に見えています。

必要性と教育は無関係

日本の the rest of us

社会変革のために、命をかける必要はありません。誰が抵抗勢力なのか、じっくり観察しながら、しかし着実に、しかも楽しみながら前進することです。
そのためには、敵を作らないことです。
日本は、明治維新に今と同じ変革を経験しました。武士と藩主が統治していた体制を、そっと転覆しました。誰がそうしたかというと、大久保利通をはじめとする政治の天才たちです。(少しは内戦がありましたが...)
受験体制にある学生の勉強法は、「日本には日本でしか通用しない学問がある。」と同じで、iT時代には全くそぐわない幕藩体制と同じです。
ICTは、教育市場の金を巻き上げる事務機屋の戦略用語です。そこに乗っからない。
最初は、何でもいいから、ローマ入力ができるようにすること。ゆっくりでいいです。ローマ字表を見ながらでもいいです。タッチタイプ(昔はブラインドタッチといった差別用語)を目指す必要はありません。できるだけ両手を使うこと。短い文章から初めて、時間を図り、できるだけ早く入力できるよう励ますこと。決して人と比べてはいけません。
ローマ字入力ができるようになってきたら、英語の教科書の英文のタイピングも練習します。日本語と英語が混じった文を入力できるようにします。この場合、MSワードを使ってはなりません。パソコンを購入した時に無料でついてくる「テキストエディット」または「メモ帳」で十分です。
日本語入力に自信がついたら、次はBASICと行きたいところですが、表計算ソフトで練習します。表計算ソフトは、無料のOpenOfficeやアップル社のNumbersでも全く問題はありません。指導者は、総務省のhttps://www.soumu.go.jp/main_content/000723626.pdfを熟読してから始めます。得意になって、方眼紙のように使ったり、セルとセルと結合したり、セル内で改行してはなりません。正しい使い方を熟知する必要があります。
表計算ソフトは、小学5年6年生で習う算数の「変化と関係・データの活用」をじっくりやります。もちろんSUMを使った「たて計よこ計」と右方向コピー、下方向コピーを合わせて履修してください。
いよいよBASICかと思いきや、パワーポイント、Keynote、OpenOfficeのDrawになります。ドロー機能を使って、図を描くことに慣れる必要があります。
それができたら、フローチャートに入ります。同時に、ホームページを作る練習を始めましょう。HTMLを操作する一方で、簡単なフローチャートを描く練習をします。
こうして、なかなか言語を教えるには到達しません。
結論からいうと、微積が社会に出て何の役にたつかをわからないうちは、数値計算のようなアルゴリズムやプログラミングは、無理です。ニュートン法やガウスの掃き出し法で解決する課題がないうちは、言語教育は不要です。
ビット計算やアーキテクチャも専門分野です。全員がそこを目標にする必要はありません。
そうではなくて、パソコンやインターネットは、人類の最大の知的産物だということを知るべきです。
操作が正しかったら正しい解を表示します。人と違って、反応に差別がありません。